中学2年生の夏から一年間も入院した。
退院して間もなく高校受験。
高校生になると、下宿生活になった…。
高校を卒業して就職。
田舎を飛び出して、会社の寮に入った。
そしてそのまま結婚。
嫁ぎ先は結構遠い。
しかも厳格な家で、実家には殆ど帰れない。
でも、まあ、帰りたいと思った事があまり無いのだ。
どんなに辛くても、実家に帰ろうと考えた事が無い。
※
中学2年生の14歳から今に至るまで、殆ど家に居ない娘だった。
携帯電話も無い時代。
不思議と寂しいと思った事は無い。
ホームシックの覚えは無い。
寧ろどの時期も楽しんでいた。
高校時代は週に一度くらい電話を入れていたような気もするが、就職してからは家に電話をする事も殆ど無い。
『便りが無いのが元気な知らせ』
きっと家族もそう思っているだろう…。
特に母はサッパリした人だ…。
涙もろくてお人好しで、喜びも悲しみも分かりやすく全身で表現する父に比べて、母はどちらかと言うと淡々とした人だ。
私は家や家族が嫌いな訳じゃない。
大好きな大好きな家族である。
連絡しなくても心が繋がっている。
だって家族だもん。
そんな風に思っていた。
なんて自分勝手なんだろうと、今は反省しているけど…。
※
母が一度だけ、就職先の会社に電話をして来た事がある。
当時の私には彼氏が居て、毎晩のように彼氏と遊びに出掛けていた。
そのため寮に電話してもなかなか捕まらず、止む無く仕事中の会社に電話を繋いだのだった。
内容は、なるべく近い内に一度、家に帰って来て欲しい。私の写真を撮りたいのだと言う。
母が私に頼み事をするなんて珍しい。
しかもこんなに強引な事は皆無に等しい。
ちょっと驚いた。
私の田舎は雪深い所で、成人式は夏に行われる。
だから振り袖を着ていない。
どうしても、私の振り袖姿の写真が欲しい。
そう言うのだった。
私は23歳になっていた。
※
久し振りに実家に帰った。
連れて行かれた写真館で…振り袖は母の見立てで既に決まっていた。
色は赤、模様は黒。
特に文句は無い。
化粧をし、髪を上げ、着物を着付け、写真を撮影している間ずっと、母は嬉しそうに、はしゃいで見えた。
後日、出来上がった写真を、母は何度も何度も見て
「私の宝物」
そう言った。
※
先日、呉服屋へ来年成人式を迎える娘の振り袖を見に行った。
あれもこれもと、着物に袖を通す娘。
「この色いいわね」「この柄の方が似合うんじゃない?」「さっきの方が顔が映えるわよ」
キラキラ輝くように娘の姿が眩しくて、嬉しくて楽しくて。
ふと…、あの時の母の、はしゃいだ嬉しそうな姿を思い出した。
娘は今、19歳の専門学校生。
今だに世話も焼けるし、心配も多々…。
でも、そうやって世話を焼いたり心配をしたり。
私は娘のおかげで『母』である事を実感する。
※
あの時の母は紛れもなく『母』だった。
自分が『母らしく』ある喜びを噛み締めていたのかもしれない。
考えてみたら、私が19歳の頃は、もうすっかり親元を離れていた。
自立していた。
金銭面で親に頼る事はもう卒業していた。
同時に、娘らしく親に甘える事も無かった。
14歳の頃から殆ど家に居なかった…。
「わっこはしっかりしとるで、な~んにも心配しとらん」
それが口癖の母は…。
私の母は…。
本当は心配で心配で。
出来れば近くに置いておきたい。
そう思っていたのではないだろうか…。
電話もしない、帰省もしない、そんな娘を責める事もしなかったけど。
だからこそ、その心の中は計り知れない…。
※
遠い記憶を遡る。
高校を卒業する時、53キロもあった体重が、就職して一年間で39キロになった。
持病が原因の貧血も酷く、フラフラになり、遂に職場で倒れて二週間の入院を余儀無くされてしまった19歳の春。
何ヶ月も実家に電話も入れず、遊び呆けてもいたから不摂生も祟ったのかも。
母は実家から3時間以上も掛かる病院に軽トラックで駆け付け、どこで買って来たのかリンゴとナイフ持参で、私の横で皮を剥いて食べさせてくれた。
私が倒れて入院しているのに、看病に来た母は、楽し気に見えた。
※
子供の出産の時は、一ヶ月も実家の世話になった。
あの時の母はとても嬉しそうで、孫が生まれるというのは、そんなに嬉しいもんかねぇ…なんて思ったけど。
母は私が家に居る事が嬉しかったのではないだろうか…。
母として世話を焼く事の出来る喜び。
あまり真面目な話をしない母が、ずっと前に言っていた。
「母さんはね、一応あんたの歳も経験して今があるの。
そりゃ、わっこと母さんは違うけれど、わっこの年頃にどう考え何を思って来たのか、それは経験して来たのよ。
わっこは、母さんの歳の気持ちは、想像は出来ても経験した事は無いでしょ。
だからね。
『親の心子知らず』なのよ」
※
娘が年頃になり、私はその年頃だった自分の姿と重ね合わせてみる。
私が親元を離れ、自分で稼いだお金で一番無茶もした年頃だ。
先にも書いたように、遊び呆けていた(フラフラになるまで)。
だから今、娘を見て自分の娘だから、まっ、しゃ~ないと諦めたり。
自身の経験から、もしかしたら傷付くのではなかろうかと心配したり。
でも何事も経験だから…と、なるべく口を出さないで見守ったり…。
信じて見守ろう。私の娘だ。
いや…私の娘だから心配だ。
心の中はこんな葛藤を繰り返し。
ああそうか。
こういう事か。
今、19歳の娘を持つ母親の気持ちが解る。
母親というものがどんな風に考え、どんな事を心配し、どんな気持ちで娘を見守っているのか…。
娘が25歳になったら、私が25歳だった時の母の気持ちが解るのかも…。
娘が35歳になったら、私が35歳だった時の母の気持ちが解るのかもしれない…。
そうやって、ずっと母の気持ちを追い掛けて、自分の中で再生して行くものかもしれない…。
※
私の娘は一つ屋根の下で暮らしている。
娘が居ない暮らしを想像すると、あの頃の母の気持ちが解る。
お母さん…。
寂しかったよね。
今からでも間に合うだろうか…。
母は今、67歳。
長生きしてもらおう。
私が80歳になった時に知る。
80歳の頃の母の気持ちが。
孤独と寂しさに暮れていませんように…。
やっぱり娘を生んで良かったと…。
幸せに満ち溢れたものでありますように…。