私には、お母さんが二人居た。
一人は、私に生きるチャンスを与えてくれた。
もう一人は……。
※
私の17歳の誕生日に、母が継母であることを聞かされた。
私を生んでくれたお母さんは、産後すぐに亡くなったそうだ。
生みの親より育ての親…などと言うが、その時の私は今まで騙されていたという怒りと、馴れ親しんだ母が急に他人に思え、両親の話も聞かず部屋で不貞腐れて泣いていた。
※
翌日から母を「おばさん」と呼ぶようになった。
そう呼ぶと母は堪らなく悲しそうな顔をした。
その後、何かと私に気を遣い始め、必死になる母を余計に煩わしく感じ、口も利かなくなってしまった。
何となく家に居辛くなったので、夜は出掛けるようになった。
※
それから一ヶ月が経とうとする頃、シカトし続ける私に母が
「部屋で読んでね」
と手紙を差し出して来た。
しかし私はその場でぐしゃぐしゃに丸め、ゴミ箱に捨ててしまった。
それを見ていた父が私を張り倒し、震える声で
「母さんはなあ…」
と言ったが、私はろくすっぽ聞かずに、泣きながら自分の部屋へ逃げた。
※
…翌日、母は帰らぬ人となった。
居眠り運転をしていたトラックが赤信号を無視し、母に突っ込んだそうだ。
即死だった。
あまりに急な出来事のため泣くことも出来ず、通夜が終わった後も母の傍で呆然としていた。
そんな私に、父がボロボロの紙切れを渡し、一言
「読め」
と言った。
それは昨日の手紙だった。
そこには母らしい、温かい字でこう書いてあった。
『千夏ちゃんへ
17年間、騙していてごめんなさい。
お父さんはもっと早くに言おうとしてたのですが、あなたに嫌われるんじゃないかと思い、あんなに遅くなってしまいました。
あなたの気持ち、とてもよく解る。だってお母さん、偽者だったんだもんね…。
でもね、お母さん、あなたのことを本当のお母さんに負けないぐらい愛してるんだよ。
千夏が成人しても、旦那さんが出来てもずーっと…』
泣きながら書いたのか、字の所々が滲んでいる。
そして最後に震える字でこうあった。
『…だから…また「お母さん」って呼んでね』
※
私が感じた寂しさを、母は17年も耐えていたのだ。
人の気持ちを考えられなかった私は、一ヶ月もの間、母を苦しめたのだ。
「お母さん…」
一ヶ月ぶりに発したその言葉は、冷たくなった母の耳には届かない。