俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。
でも遠足などで弁当が必要な時は、母さんが頑張って作ってくれていた。
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小学六年生の時の遠足の時、見た目が悪い母さんの弁当を友達に見られるのが嫌で、とうとう
「弁当はコンビニで買って行くから、この弁当は要らない!!」
と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ
「うまく作れなくてごめんね」
としか言わなかった…。
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時は過ぎ、俺は高校生になった。
高校では給食は無いので、いつも昼食は購買のパンで済ませていた。
しかし高校二年生になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。
それは遠足の時に作ってくれたものと比べ、味も見た目も良くなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。
と、思ったのも束の間。
肺炎で入院したかと思うと、ぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから三ヶ月しか経たぬ内に…。
母さんが死んだ後に親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺のために、定食屋をやっている知り合いの所へ一年間料理を習いに行っていたらしい。
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そして後日、その定食屋に行ってみた。
定食屋のおばちゃんと俺は直接の関わりは無い。
けど、優しそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、ハンバーグ。それの定食を頼んだ。
それを口にした途端、ぼろぼろと涙が溢れてきた。
たった三ヶ月しか食べられなかったけど、確かに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。
腕がまともに動かせないのに、頑張って作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とても美味しかった、あのハンバーグの味。