小さな頃、親父と一緒に街中をよく走ったものだ。田舎の我が町は交通量も少なく、自然豊かで、晴れた日の空気は格別だった。
親父は若い頃、箱根駅伝に出場した経験がある。走るのが好きで、俺にもその楽しさを伝えたかったんだろう。無口な親父だったけど、走ってる時だけは俺にたくさん話しかけてくれた。普段はちょっと怖かった親父も、その時ばかりは好きだった。
お袋が作ったタスキを使って、駅伝ごっこもよくしていた。俺は中学に入ると陸上部に入部。成績も良く、親父はいつも応援に来てくれ、俺が記録を更新すると、いつも酒を飲んで喜んでいた。親父はいつも、「お前と一緒に箱根を走りたかったな」と言っていた。
高校でも陸上を続けたが、成績が伸び悩み、勉強にもついていけず、日々イライラしていた。親父は陸上のことばかり気にして、それが俺には鬱陶しく感じられた。反抗期だったのかもしれない。
ある日のレースで、成績が振るわず、疲れ切って家に帰ると、親父が部屋に入ってきた。俺は親父に対して爆発してしまった。「うるせえ!出て行けよ!!」と叫んでしまった。その後、俺は陸上部を退部し、走ることもやめた。
そんなある日、親父が倒れてしまい、末期の癌と診断された。俺はその時、親父とのわだかまりを解消できずにいた。しかし、ある朝お袋から聞いた話が心に引っかかり、病院に駆けつけた。
親父はもう弱っていたが、俺が走って来たのを見て、「走ってきたのか」と小さな声で言った。親父は俺にぼろくさいタスキを渡し、「走るのは楽しいだろ」と笑いながら言った。
その後親父は亡くなり、葬儀が終わって部屋に戻った時、タスキを見て涙が溢れた。親父との思い出、そして彼の夢を思い出しながら、俺は再び走り始めた。
今、俺には子どもがいる。いつかこの子に、このタスキを渡したい。親父のように、走る楽しさを教えたいと思っている。それが俺の、親父への想いを継ぐ方法だ。
※
あの日、親父が俺に残したタスキは、ただの布切れではなかった。それは親父の青春と情熱、そして俺への愛情が詰まった、かけがえのない宝物だった。
親父と走ったあの道は、俺にとって特別な場所で、今でも時折、息子を連れてそこを走る。
息子はまだ小さいが、親父のように彼に走る楽しさを教える日が来ることを心待ちにしている。
親父のタスキは、世代を超えて引き継がれ、新たな夢を育むことでしょう。