泣ける話や感動の実話、号泣するストーリーまとめ – ラクリマ

身体を大事にしろ

父と子(フリー写真)

今日は父親の13回忌だ。

うちの父は僕が高校生の時に他界している。

死因は末期の膵臓癌だった。

最初に父が身体の不調を訴えて病院で検査を受けた時、肺に水が溜まっていた。

診断の結果は膵臓癌。

即座に摘出手術の日程が組まれて、その日はやって来た。

手術の時間は、驚くほど短時間だった。

腹部を切開した時、一目で分かる程に腫瘍は転移していたのだった。

末期癌である。

摘出を行うことは、確実に余命を短くするだろうという医師の判断により、ここで手術は終了した。

父はもう助からない。余命は持ってあと半年。

待合室で控えていた僕は、あまりに早く手術が終了したことに拍子抜けしたと同時に、そう告知された。

それから半年間、父は病院で過ごすことになった。

病状は着実に進行していた。

半年が過ぎた頃には、自力で動くことは出来なくなっていた。

視力も既に失い、眼球は白濁していた。

しかしながら、とても平穏な日々を過ごしていた。

激しい身体の痛みも、多量のモルヒネ使用によって抑えていたに過ぎなかったが、とても平穏な日々。

宣告されていた余命はもはや僅かではあったが、このまま永遠に続くのではないかと思うほどの平穏。

このまま、父は生きて行けるのではないか?

そう感じていた。

その夜、自宅に居た僕は、父の居る病院に行かなければならない気がした。

金曜日の夜。翌日も学校はあるのだが、今夜、病院へ行かなければ、と思ったのだ。

最終電車に乗り込み、約5キロの道を歩いて、父の居る病院へ向かった。

蛍の舞う季節。道すがら蛍を捕まえ、手土産にした。

もはや父の目は見えないと解っていながら。

翌朝、父の病室に設置した簡易ベッドで目を覚まし、学校へ行く準備を整える。

出掛けに父が言った。

「学校が終わったらまた来い」

その日の夕方、簡単な食事を済ませて、また病院へと向かった。

病室内で家族の会話を交わし、今夜もこの部屋で眠るための簡易ベッドを用意した。

病院の消灯時間は早く、特に大した娯楽がある訳でも無いので、早々に床に就く。

硬いベッドの上で微睡んでいると、突然に父が叫んだ。

僕の名前を呼んでいるのだった。大声で。

父は目が見えなくなっているのだから、きっと僕を探すために叫んだのだろう。

「ここに居るよ」

そう答えると、父は少しの間を置いて、言った。

「身体を大事にしろ」

突然何を言うのだろうと、その時は思っていた。

それが最後の言葉になった。

直後に容態が悪化して、胃の内容物を吐瀉した。

痛み止めのモルヒネも、既に気休めでしかなかった。

駆け付けた担当医は、今夜が山だと言った。

それが越えることの出来ない山だということは、すぐに理解出来た。

6時間後、父は息を引き取った。

「身体を大事にしろ」

最後の力で、父はこう言ったのだった。

最後の最後まで、僕のことを気に掛けていてくれたのだ。

何よりも家族を大切にする父親でした。

あなたに学んだことは、とても多い。

父さん、あなたの息子に生まれて良かった。

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