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届いていた気持ち

和室

私が郵便局員として山間の村に赴任したのは、三十二歳の春だった。

その村に、私の祖母が住んでいた。

赴任の辞令が出たとき、最初に浮かんだのは祖母の顔だった。次に浮かんだのは、もう十年近く、ちゃんと話したことがないという事実だった。

祖母との間には、愛情がないわけではなかった。でも、それを確かめる機会を、私はずっと作れないでいた。大学進学で東京に出てから、帰省は数えるほど。電話をしようとして、途中でやめたことが何度あったか。「今さら何を話せばいいのか」という気持ちが、指先を止めた。忙しいせいもあったが、それだけではなかった。祖母に心配をかけたくないという遠慮が、いつの間にか距離に変わっていた。

配達区域に祖母の家が含まれていると確認したとき、私は少し安堵した。毎日顔を合わせるのなら、きっかけになるかもしれないと思った。

最初の日のことは、今でも覚えている。

赤い自転車を止めて、霜がまだ残る玄関先に立った。朝の空気が冷たくて、吐く息が白かった。ほどなく扉が開くと、祖母は一瞬だけ私の顔を見て、「あら、あんたが来たの」と言った。

「おばあちゃん、久しぶりです」

「そう」

郵便物を受け取ると、そのまま扉が閉まった。

私はしばらくその場に立っていた。何か言えばよかった、と思った。でも、何を言えばよかったのかも、よくわからなかった。自転車に跨り、次の家へ向かいながら、ずっとそのことが頭から離れなかった。

それから毎朝、私は祖母の家に立ち寄った。

梅が咲き、桜が散り、田んぼに水が張られ、蛍が出て、また稲穂が実り、紅葉が染まった。季節が一周しても、祖母と交わす言葉はほとんど変わらなかった。

「ごくろうさま」

「ありがとうございます」

それだけだった。

たまに、おかずの入った小さなタッパーを玄関先に置いておいてくれることがあった。礼を言っても「ちょうど作り過ぎたから」という一言で終わった。祖母は、誰かに何かをしてあげたことを、大げさに見せる人ではなかった。

私はいつか「上がって行かない」と言ってもらえると、どこかで期待していた。でも声は掛からなかった。忙しいのだろう、と自分に言い聞かせた。それとも、何年も連絡しなかった私を、もう深くは迎え入れる気がないのかもしれないとも思った。

嫌われているわけではないだろう。でも、深く迎え入れてはもらえない。そういう距離感のまま、一年が過ぎた。村の道を自転車で走るたびに、山の緑が濃くなり、また枯れていくのを眺めた。

十二月に入った頃、祖母の家の前で自転車を止めたとき、玄関が静かすぎた。郵便受けに前日の郵便物が残っていた。インクの滲んだ電気代の封筒が、山の冷気に濡れていた。

二日後も同じだった。

隣に住む老人に声を掛けると、「先月から調子が悪かったみたいで、病院に入ったよ」と教えてくれた。「あんたが毎日来てるのは知っとった。あの人から何も聞いてないか」と首をかしげながら、老人は言った。

その夜、私は車を走らせて病院へ行った。

病室のドアを開けると、祖母は細い体をシーツの中に収めて、薄く目を開けた。思っていたより顔色が悪かった。窓の外に夜の山が暗く広がっていた。

「何でわざわざ来たの」

「心配で来ました」

「ふん。仕事に差し支えるだろう」

「大丈夫です」

「……そう」

それきり、祖母は目を閉じた。

病室には古い時計の音だけが続いていた。眠っているのかどうかわからないまま、私はしばらく椅子に座っていた。何か話そうとするたびに、言葉が出てこなかった。話したいことは山ほどあるはずなのに、ここに来ると全部どこかへ消えてしまった。

結局、何も言えないまま病室を出た。廊下を歩きながら、なぜあんなに無口だったんだろうと、自分のことを不思議に思った。

翌春、桜がちょうど咲き始めた頃、祖母は静かに逝った。

最後まで大騒ぎしなかった。病室でも「大変だ」とも「怖い」とも、ひとことも言わなかった。静かに目を閉じて、静かに眠り続けて、そのまま還っていった。それが祖母らしいと思いながら、私はただ棺の前で手を合わせ続けた。

葬儀が終わってから、遺品整理のために祖母の家に入った。

居間は思っていたより狭かった。古い家具が所狭しと並んで、テレビは古く、床の畳は色が褪せていた。壁には家族の写真が何枚か飾られていて、私の学校の制服姿の写真もその中にあった。もう二十年近く前のものだった。少し気恥ずかしい気持ちになりながら、それを外さずにそのままにしておいた。

押し入れを開けると、奥の方にみかん箱ほどの木の箱があった。表面には薄く埃が積もっていたけれど、蓋だけは布で拭いた跡があった。何年も前から、誰かが定期的に手入れしていたのかもしれなかった。

開けてみると、中には古い郵便物が丁寧に束ねて入っていた。

絵はがきだった。

数えると、三十五枚あった。修学旅行で京都から送ったもの、高校の合宿先から送ったもの、大学入学の年に旅行して気まぐれに送ったもの、仕事の研修で遠出したときに送ったもの。どれも私が送ったものだった。半分忘れかけていた記憶が、古い紙の上に残っていた。

一枚一枚が、小さな封筒に入れてあった。

封筒には日付が書いてあった。郵便が届いた日を、祖母が几帳面に書き添えていた。

翌日、村の雑貨屋を営む老人が様子を見に来てくれた。祖母と長年付き合いのある人で、「少し話したいことがあって」と言って、土間の縁に腰を下ろした。

「おばあちゃん、あんたの絵はがきのことをよく話しとったよ」

私は手を止めた。

「あんたが仕事で名古屋に行ったとか、研修で広島に行ったとか。私に見せてくれたこともあった。誇らしそうに、ほんとに嬉しそうに見せてくれた。『うちの孫が送ってくれたんですよ』って」

「でも、私には何も言わなかったんです」

「そうねえ」と老人は少し間を置いてから言った。「あの人は気持ちを言葉にするのが苦手な人だったから。喜んでいても、心配していても、全部飲み込んでしまう。あんたのことが心配で何度も電話しようとしてたのも知っとるよ。でも、忙しいだろうからって、いつも途中でやめとった。迷惑かけたくないからって」

私は何も言えなかった。

電話しようとして、途中でやめていた。

祖母も、私も、まったく同じことをしていた。

「お互いに遠慮し合っとったんだな、きっと」老人は縁側から山を見ながら静かに言った。「あの人もあんたも、相手に気を遣うばっかりに、大事なことを言えないまんまだったんだ」

窓の外で風が吹いて、縁側の鉢植えが揺れた。

木の箱の中の絵はがきを、もう一度手に取った。一番下に入っていたのは、中学三年のとき、修学旅行の京都から送ったものだった。うずら豆みたいな丸い文字で「金閣寺に来ました。元気です」と書いてあった。十八年前の私の字だった。

祖母はそれを、ずっと大切に持っていた。

封筒の日付の横に、祖母の字で小さくこう書き添えてあった。「健やかに暮らしているようで、よかった」

声が出なかった。

涙が出ないまま、ただ胸の奥が静かに熱くなるような感覚があった。嬉しいとも悲しいとも言い切れない、でも何かが確かに解けていくような感覚だった。

あれから二年が経つ。

私は今も同じ村の郵便局に勤めている。

毎朝、赤い自転車に郵便物を積んで、霧のかかる山の道を走る。沢の音が聞こえてくる道を、荷物を揺らしながら下っていく。

あの家の前を通るたびに、少しだけ速度を落とす。今は別の家族が住んでいるが、玄関の形はそのままだ。いつかの冬に霜が降りた朝のことを、ふと思い出す。

届けるものには、必ず誰かの気持ちが入っている。

うまく言葉にできないままでも、それでも相手のことを思って送り出した何かが、紙の重さの中にある。受け取った人が気づかなくても、引き出しにしまい込んでしまっても、その気持ちは確かにそこにある。

それを、私は今、誰よりも深く知っているつもりでいる。

毎朝の配達の途中で、山の向こうに朝日が差してくる。

私は自転車を漕ぎながら、今日もちゃんと届けよう、と思う。

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