サイトアイコン 泣ける話や感動の実話、号泣するストーリーまとめ – ラクリマ

父と私と、ときどきおじさん

父(フリー写真)

私が幼稚園、年少から年長頃の話である。

私には母と父が居り、3人暮らしであった。

今でも記憶にある、3人でのお風呂が幸せな家族の思い出であった。

父との思い出に、近所の豪邸らしき家(何の建造物で誰の敷地かは不明だが)の門の中に茂みがあり、そこの広場のような所でサッカーをした記憶がある。

その記憶は非常に強く、現在でも私自身の子供と敢えてそのサッカーの思い出を作っているくらいだ。

また、池袋の屋上にある遊び広場で綿あめを食べた記憶がある。

昭和のあのオレンジ色をした綿あめ製造機。当時の私にとって、それは未来の機械であった。

それから父の実家(地域は不明)に帰った記憶がある。

昭和の香りが残るタバコ屋さんで、玄関にはおばあちゃんと従兄弟が2人居た。

駅前かどこかで黄色いデザインの日記を買ってもらった記憶があり、それは今でも大事に持っている。

そうだ、けろけろけろっぴーだ。今は知る人が少ないかもしれないが、私の息子はポケモンのケロマツが好きである。やはり血は争えないのか。

また男性なら解ると思うが、戦隊シリーズが好きで、当時の後楽園遊園地ではヒーローショーが外で催されていた。

子供ながら非常に衝撃的で、興奮していた記憶がある。

さて話を戻すと、そんな3、4歳頃の記憶から年長頃になると、事態の様相が変わった。

父と母がよく喧嘩をするようになったのだ。

その頃には母の姉家族と一緒に住むようになり、義理のお兄ちゃんなどとよく遊んだ。

偶に一緒に食事に行くおじさんも居た。

次第に父とは距離ができ、ある日の事、それは起きた。

母が電話越しに父と喧嘩しているのが聞こえた。

子供の私にも解る。これはただ事ではない。そして『離婚』という言葉が飛び交った。

ちゃんと理解していたか分からないが、一緒に居られないということは理解できた。

子供心に当然、寂しい思い出となった。目からも涙は流れ、どうやら『離婚』というものは決定したらしい。

ただ最後に父は、私に会わせてくれと懇願していたようだ。

私はその電話に出され『うん、うん』とだけ応えていた気がする。

その数週間後か、父と遊園地に出かけた。

それは後楽園遊園地だったか、記憶が少し曖昧だが、凄く楽しかった記憶がある。

そして、それが最後の父とのお出かけで、それ以降、今に至るまで父と会うことはなかった。

別れ際、交差点の角で何か強く言われた記憶はあるが、その言葉は思い出せない。

ただ父が私を想っている事、離れたくない事、正に親子である不思議な繋がりは覚えている。

ただ繰り返しになるが、それ以降、父と会うことはなかった。

暫く月日は流れ、中学生までに時は過ぎた。

冒頭に登場した、よく食事に行くおじさんとは変わらず、銀座で定期的に母と3人で食事していた。

ただ、私はやはりおじさんよりも父に会いたかった。

当然ながら母から連絡先も教えてもらえず、どう連絡するのか、どのようにして会うのか、中学生である当時の私には分からなかった。

今のように LINEで繋がったり、位置情報が判ったりせず、単純な番号でのみ繋がっている時代。電話番号を知らなければお手上げ状態である。

年頃もあり、やはり次第に母に対する疑問も生まれてきた。

何故、父に会えないのか。そこまで会いたいと懇願はしていない。

ただ年齢的に何となく理解できてきた事があった。

母の行動や言葉の節々から、中学生ながら自然と脳が推測していた。

いや、推測と言うより本能や直感、或いは感情が理性を超えた瞬間とでも言うべきか。

当然、証拠などそのようなものはない。

ただ判ったのだろう、当時の私には。

母とも言い合いをするようになっていた。

テーマは当然、父に関して。

そして怒り心頭の母の口から、決定的な言葉が出そうになった。

これだけは聞きたくなかった。

「あのおじさんは、あなたの…」

はっきりとは言っていない。ただその言葉の後に続く言葉は、もうあれしかないだろう。

大人になって偶にその類のドラマを見るが。

見るたびに『いやいやいや』と考えながら見てしまうが、

『そっか、そっか、私がそうだ…』

と、我に返る。

中学生の私には、受け容れ難い事実であり、そもそも受け容れるつもりもなかった。

父が父でないとか、そんなことはどうでも良かった。

あの父に会いたい。それだけだった。

おじさんはおじさん。居ようが居まいが関係ない。

それが本当の……だとしても。

そして月日は流れ、こうして私はふとこのサイトを見つけ、パソコンに文字を打ち続けている。

来週、その本当の……は、私の子供(まだ年少と年長)と定例の食事会をする。

私は今、子供たちの為に、おじいちゃん像を作り出す為に、普通の家族と同様に振る舞っている。

理性的に、理想の家族像を作り上げている。

子供たちには、綺麗な思い出を作って欲しい。

父と母は仲が良く、本当のおじいちゃんも居て…。

私の父も徐々に、例のおじさんへと月日と共にすり替えられて。

本当はおじさんだったあの父は今、何処に居るのか…。生きているのか。

涙ぐみながら、心の中で、私は『父』を思い出す。

投稿者: 繕穂様

モバイルバージョンを終了