泣ける話や感動の実話、号泣するストーリーまとめ – ラクリマ

父が居たら

父(フリー写真)

自分は父の顔を知らない。

自分が2歳の頃、交通事故で死んだそうだ。

母に、

「お父さんの名前、なんて―の?」

「お父さんの写真、見して!」

「お父さん、メガネかけてたの?」

などと聞いても、黙って首を振るだけだった。

父が居ない分、母は毎日、朝早くから遅くまで仕事をしていた。

酷い時には、一週間も母を見ないことだってあったのだ。

そんな時、面倒を見てくれたのが祖父母。

誕生日もクリスマスも、祖父母と一緒。

母とは土日に外出するくらいで、正直何を話したら良いのか全然分からなかった。

小学校の時は、

「お母さんはカッコよくて、頭が良くて、仕事もすごい出来るんだ」

と、よく自慢していた。

でも、本当はそんな自慢なんて要らなかった。

母とちゃんと話がしてみたかった。

そんな時、いつも思うのが死んだ父。

父が居たら、母とも毎日話せた。

父が居たら、母がこんなに仕事をすることも無かった。

父が居たら、父が居たら、父が居たら…。

そんな思いがひたすら溢れた。

祖父母は大好きだ。文字の書き方から、きゅうりの切り方まで全部教えてくれた。

それでも、やっぱり…。

母は父のことを教えてくれないだろう。絶対に。

そんな小学生時代に終止符を打つように、母の再婚が持ち上がった。

小学校の卒業と同時に県外へ引っ越し、新しい父と母との三人で暮らすということだった。

実際、自分は本気で祖父母の所に残ることを考えた。

小学校の友達と離れるのは辛い。でも、それ以上に祖父母と離れるのが嫌だった。

それでも、母の涙に折れて引っ越すことになった。

その時はまだ知らなかった。

母のお腹には新しい父との子供が居た。

新しい父は、妹が産まれるまでは優しかった。

しかし妹が産まれた途端、がらりと変わってしまった。

理不尽な怒り方しかしない。

母の前では優しいのだ。なのに、母が居ないと口調も変わる。

それは2年経った今でも少しも変わらない。

どうしようも無い気持ちになり、辛くなっても話せる人が居なかった。

先週、祖父母を訪ねた時に、今まで教えてくれなかった父の墓を聞いた。

全てを話すと、祖父母はこっちに引っ越して来いと言ってくれた。

でも、それは出来ない。

母にもその事実を話さなくてはいけない。母はきっと悲しむ。

今まで母親らしいことをしてくれなかった母でも、母が悲しむのは見たくない。

そして今日。

祖父母から父の命日だと聞いていた日。

学校を休んで亡き父に会いに行きました。

父の墓は綺麗に掃除されていて、花も供えてありました。

「お父さん、自分はもうすぐ高校受験です。

今まで会いに来れなくてごめんなさい。

お父さんの顔は分からないけど、辛い時にはここに来ます」

本当に父に会いたいと思った。

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