小学校の頃、私は虐められたことがある。
ふとしたことから、クラスのボス格女子とトラブルになった私。
その日以来、無視され続け、孤立した日々を送ることになった。
中学になっても、その孤独は変わらず、私は自らの命を絶とうとすら思い詰めた。
だが、そんな私を救ったのは、耳に流れ入る音楽の調べだった。
中学二年の春、私は転校することになった。
新しい学校では、暖かい友達に恵まれ、心が徐々に癒されていった。
高校に進学すると、私はバンド活動を始めた。
その輝かしい日々は、おそらく人生で最も私が輝いていた瞬間だったと思う。
地元の楽器屋さんでの一日が終わり、家路につこうとしたあの日。
私はかつての虐めの主犯であった彼女と偶然再会した。
彼女は親戚の法事でこの町に来ていたのだという。
意外にも、彼女は私に謝罪した。
「昔のことはもう大丈夫」と私は答え、それぞれの近況を交わして別れた。
彼女が乗ったバスを見送り、自転車に乗ろうとしたその時。
後ろで大きな衝撃音がした。
振り返ると、ひしゃげたバスが道に転がり、クレーン車も横転していた。
私は慌てて駆け寄ったが、怖くてバスに近づけず、ただ立ち尽くした。
救助隊が到着し、彼女が血だらけでバスから運ばれていくのを目の当たりにした。
その後、記憶は曖昧になり、次に意識がはっきりしたのは病院のベンチで、彼女の家族と共に座っていた。
理由を知らされた時、私は呆然とした。
バスには、私の姉も乗っていた。
包帯を巻かれた姉は、ベッドで静かに眠っており、両足は膝から先がなかった。
医者からは、姉が植物状態になる可能性が高いと告げられた。
そこから先、私の心は何も感じられなくなった。
家に戻り、何もせずにただベッドに横たわった。
食事もせず、風呂も入らず、ただ天井を見つめ続けた。
久しぶりに食事を取りにキッチンへ向かった時、彼女が亡くなったことを知った。
そして、姉は安定しているが、目覚めないことも。
時が経ち、私は彼女の家を訪れた。
葬儀には出席できなかったが、せめて彼女の仏壇に手を合わせたかった。
仏壇に手を合わせた後、彼女の両親は私を引き止め、彼女が書いていた日記を私に見せた。
日記には、彼女の罪悪感と、謝罪の機会を失った後悔が綴られていた。
最後には、「私に謝りに行く決心」が記されていた。
「親戚の法事」というのは嘘だったのだ。
日記を読んだ私に、彼女の母親は尋ねた。
「あの子を許してくれましたか?」
私は涙声で「はい」と答えた。
すると、彼女の両親は感謝の涙を流しながら、繰り返し「ありがとう」と言った。
半年が過ぎ、姉は奇跡的に目覚めた。
失った足にショックを受けつつも、彼女はリハビリと義足の訓練に励み始めた。
今では、彼女は杖なしで普通に買い物にも出かけている。
時々、私は彼女の両親が「ありがとう」と言った時のことを思い出す。
彼女の一周忌が近づいており、私は参列するつもりだ。