泣ける話や感動の実話、号泣するストーリーまとめ – ラクリマ

真っ直ぐな友へ

グラス

私たちの友情は、中学時代から始まりました。彼は素直で一途、趣味に没頭するタイプでした。中学、高校、大学と一緒の学校に通い、彼は私にとって唯一の親友でした。

大学4年になり、就職活動が始まりました。先に就職が決まったのは私でした。彼は頭が悪いわけではありませんでしたが、どこか要領を得ないところがありました。彼の就職が決まったのは10月下旬で、周りから見ればかなり遅い方でしたが、彼の内定を心から祝いました。彼も無邪気な笑顔で感謝していました。

彼はいつも強がりを見せていたものの、内定が決まるまでのプレッシャーを感じていたのは明らかでした。私は彼がどれほど悩んでいたかを知っていたので、彼の成功を自分のことのように喜びました。

私たちは卒業し、社会人としての道を歩み始めました。新しい生活が始まると、会う機会は徐々に減っていきました。忙しさに追われる毎日の中で、私たちは次第に疎遠になっていきました。

社会人になって数年が経ち、ようやく私たちにも余裕が出てきました。しかし、彼は「忙しくて」という理由でなかなか会えませんでした。彼の働き方が異常だと感じ始めたのは、社会人5年目の冬でした。

半ば強引に飲み会を設定し、久しぶりに会った彼と近況を話し合いました。彼は朝6時に家を出て、深夜0時過ぎまで働いていること、休日も上司から呼び出されることが多いことを告げました。彼の過酷な労働環境に心配を感じ、「ブラックじゃないの?」と聞いたものの、彼は「楽しい」と強がっていました。

そして、彼と飲んだその日が、最後の思い出となりました。彼は一年後、病に倒れ、亡くなりました。過労が原因ではないとはいえ、彼は病気になっても休めず、最終的に命を落としました。彼の会社に対する憎しみと、彼を失った悲しみで、私は涙を流しました。

彼の過酷な働き方に気づきながら、何もできなかった自分に悔いが残ります。彼が最後に見せた「楽しい」という言葉の裏に隠された真意を、その時は理解できませんでした。

今、私は家庭を持ち、普通に働き、子供との時間を大切にしています。もし彼が今もいたら、「お金はないけど、家族との時間は幸せだよ」と伝え、彼が笑って「じゃあ、俺も恋人を作るか」と返す姿を想像します。

彼の純粋さと一途さ、そして彼の未来への夢は、今も私の心の中に生き続けています。

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