私の母は生まれながらにして両腕に障害を持っていました。
そのため、家庭の料理はほとんど父が担当していたのです。
しかし学校の遠足などで弁当が必要な時は、母が一生懸命に作ってくれました。
その日、小学6年生の私は、母の造形的に不完全な弁当の姿を同級生に見られることを恐れ、
「この弁当はいらない!」
と無神経にも突き放してしまいました。
母はただ謝るばかりで、その愛情深い目には私の幼さを許す温もりがありました。
年月が経ち、高校に進学した私は、給食のない日々を購買のパンで済ませていました。
それから間もなく、母が再び弁当を作ると言い出しました。
その弁当は、以前のものとは比べ物にならないほど美味しく、見た目も美しいものでした。
彼女の障害を克服し、愛情を一層込めて作られたそれは、私にとってかけがえのない贈り物でした。
しかしその後、母は肺炎で倒れ、あっという間にこの世を去ってしまいました。
その事実を知った時、私の心は言葉では言い表せないほどの悲しみで溢れました。
母の葬儀の後、父から驚くべき事実を聞きました。
母は私のために、定食屋で一年間料理を学んでいたのです。
彼女の愛情は、手に障害を持ちながらも、私の心を満たすための一つのスキルを身につけようとする強い意志から来ていました。
定食屋を訪れ、私は母が愛情を込めて作ってくれたハンバーグ定食を注文しました。
その味に、私の目からは止まらない涙が流れました。
それは、母の手作りの味。彼女の愛情が詰まった、私にとって最も特別なハンバーグの味だったのです。
形は完璧ではなかったかもしれませんが、その味は母の無償の愛が込められた、あのハンバーグの味でした。